第10回音の輪コンサートへのメッセージ

アルフレッド・リード

 10年の間我々は一緒に良い音楽を作ってまいりました。10回記念コンサートを祝うこの祭典に、我々みなが仕える芸術を賞賛するという堅い誓いを新たにし、 喜びと幸福を聴衆にもたらし、アーティスト・ミュージシャンとして暖かな親交と美しい調和の中で仕事をするために、ふたたび集まりました。
 そしてやがてやって来るであろう多くの歳月においても.......特に今我々の前にある新しい世紀においても一緒にいることを確信して、私の皆様方へのご挨拶といたします。

For ten years we have made good music together. On this occasion, to celebrate our tenth anniversary concert, we meet once again, and more than ever before renew our pledge to honor the art we all serve, to bring joy and happiness to our audience, and to work together in warm fellowship and beautiful harmony as artist musicians.
I greet and salute you all, and trust that we shall yet be together for many years to come...especially in the new century now before us!
                                       Alfred Reed


ジェイムズ・バーンズ

 この数年の間に、皆さんと私の音楽を分かち合うために何度も来日しました。それはいつも嬉しい経験であり、日本のミュージシャンとバンドの質にいつも感動させられました。わたしは、また日本の習慣と、暖かく親切な日本の人々を愛し理解するためにも来ています。ある意味で、わたしの国から皆さんの国への音楽大使でありたいと思っています。今後二国間の友情は、ますます大きくなるでしょう。
 これは非常に特別な10周年のコンサートですから、これを機に、音の輪コンサートのますますの発展をお祈りするととももに、わたしの音楽を楽しんで頂いているすべてのみなさまに感謝を申し上げます。

In the last few years I have come to Japan many times to share my music with you. It is always such a joyous experience, and I am always impressed with the quality of Japanese musicians and bands. I have also come to love and appreciate Japanese customs and the warm and friendly Japanese people. I hope that, in some small way, I have been a musical ambassador from my country to yours. The friendship between our two nations continues to grow.
Since this is a very special 10th anniversary concert, may I take this opportunity to wish the Otonowa Concert well, and to thank all of you for enjoying my music.
                                       James Barnes

A.リード音の輪コンサート第10回記念特別演奏会
開催のご挨拶

青山 均  API Inc. 代表取締役 

 A.リードの作品をA.リードの指揮のもとで思う存分演奏しよう、という主旨で始まったこの音の輪コンサートもお陰をもちまして10周年を迎えることができました。この10年、音の輪コンサートを導き続けてきた偉大な作曲家であり指揮者であるアルフレッド・リード博士に心から感謝の意を表したいと思います。今年77歳の喜寿を迎えますます意気盛んなA.リード博士が、このコンサートのためにプレゼントしてくださった新曲・「第6組曲」を、本日ここで世界初演することに無量の喜びを感じます。
 この10数年、A.リード博士と国内外において数え切れないほどの仕事を共にしてきましたが、振り返ると、日本におけるアルフレッド・リードの音楽活動が、この10回の音の輪コンサートの歴史の中に集約されているように思われます。今年の音の輪コンサートの結成式で、10回を通して参加したあるメンバーが、「音の輪コンサートは私の青春です。」と何のためらいもなく力強く誇らしげに言い放ったこの言葉に、私は改めて我々が続けてきたこの「A.リード音の輪コンサート」の歴史の重さを感じさせられました。
 我々は、我々の時代の吹奏楽の英雄・Alfred Reedとともに音楽を創造できたことを何にも代え難い財産とし、これからも共に歩んでゆくことを誇りとし名誉とするものです。そしてそれは、我々自身によって作られる我々自身の確かな歴史・自分史の手応であり、生きてきた証であるのです。
 音楽は瞬間芸術とも再現(再生)の芸術とも言われます。A.リードがいつも言うように、作曲家が五線の上に記す記号は、それが演奏家によって音楽として再現されるまでは、ただの墨点に過ぎません。そればかりか音は、闇から生まれ、留まることなく闇に消えてゆきます。そこに人間の生命が介在し継続されない限り芸術としての命を受けることはありません。瞬間瞬間における継続が一つの音楽を形作り、一つの音楽が生きた人間の心に宿り育まれ受け継がれて初めて永遠の命を受けるのです。これらの精神の営みを通して、我々は人間への尊厳と崇高な人間愛を学ぶのです。
 音の輪コンサートは、時にはやむを得ず人数制限を行うこともありましたが、参加する者を拒みません。毎年新たな計画を掲げ、賛同するプレーヤーをそのまま受け入れて結成されます。そして結成式と称する最初のミーティングで初めて顔を合わせ、協議して各自が演奏するパートを決め、すぐに初見での練習が始まります。全体で自己紹介をすることもありませんので、新人たちはいったい誰が誰なのか混乱のし通しです。でも、どういう訳か、脱落する人もほとんどなく、不協和音もあまり立たず、毎年こうして本番を迎えられています。今年めでたく皆勤賞を受けるプレーヤーが3名。他に指揮者3名とスタッフ2名も皆勤しています。皆さんおめでとう。長い間ご苦労様でした。私もその一人ですが、もう10回なのか、まだ10回なのか実感がありません。しかし、11回目をやろうという気持ちだけは確かなもののように感じています。
 今回、音楽的才能に恵まれこれからの吹奏楽界を背負って立つ作曲家、James Barnes氏を迎えることができ、新たな音の輪コンサートの歴史が作られることと期待しています。
 今日ここにお集まりのすべてのみんな様に、また、これまでこのコンサートに参加された数え切れないほどの参加者の皆さんと聴衆の方々に、そして、このコンサートを陰から支えて頂いた多くの皆様に心からの感謝を申し上げるとともに、今後なお一層のご支援とご協力を賜りますようお願い申し上げて、ご挨拶といたします。

普段着のリード御夫妻
「どこから作品は生まれるか」

伊藤 透 ジャパン・スーパー・バンド常任指揮者  

 音の輪コンサートも10回を数えました。よく考えてみると特殊な企画です。現存する作曲家の指揮のもと、その人の作品を10年間も演奏し続けているという、とてもマニアックな演奏団体です。しかしその活動が、コンクールに依存しないで10年間も運営できたことは画期的な事だと思います。
 吹奏楽ファンの会話でよく「アルメニアン」はコンクール向きだとか、「エルカミ」はとても興奮するとか、オランダで録音した「第4交響曲」はすごいとか、洗足学園で「トランペット協奏曲」を新録したとか、リード作品に関していろいろなことが話題になります。その主な内容は作品の好き嫌いや、演奏の良し悪しなどで、人間アルフレッド・リードについて語られることは少ないようです。
 この10年、リードとともに音楽活動をして、指揮者、作曲家、教育者、そしてマージョリ夫人の良き夫としてのリードなど、いろいろな側面に直接ふれることができたことは貴重な経験だったと思います。特に洗足学園大学の港北キャンパスの教授宿舎に滞在するようになってからは、普段の夫妻の様子も拝見できるようになりました。実際に仕事をしている現場で作曲中のスケッチなども見せていただいたりして、さらにリード作品に近づいたような気がします。
 さらにとても忘れられない体験もいくつかあります。一番の思い出はマージョリ夫人の作られた自称「ちゃんこ料理」?の味です。(御夫妻は大相撲ファンで、国技館で観戦されたこともあります。)イタリアンベースの上に和風の素材が中華風に混ざっているアメリカン料理という感じでした。リードの作品に例えると、ちょうど世界のダンス音楽というサブタイトルがついている「第5組曲」といった感じです。また中華料理を食べに行った時、料理を多く注文すぎて最後に餃子とチャーハンが残ってしまいました。奥様はそれをもったいないと言われてタッパーに詰めて持ち帰られました。アメリカでも大恐慌の頃は食べ物に苦労した話をその後で聞かされ、アメリカ=使い捨て文化、という認識を変えさせられました。
 しかし意識の変化はリード御夫妻にも起きていて、日本的なものから少なからず影響を受けていると思います。実際、「第5組曲」の「山伏神楽」、今日演奏する「第6組曲」には「阿波踊り」のリズムが取り入れられています。また、昨年演奏した「第5交響曲さくら」は言うに及びません。私はこの曲が大好きですが、この曲の冒頭の強弱はメゾ・フォルテ(中庸な大きさ)と指定されています。リードの曲だけでなく一般に作品はどのように始まるかでその曲の印象が大きく変わってきます。ベートーベンの「運命」のように劇的に始まるか、シューベルトの「未完成」のように静かな緊張で始まるか。リードの作品も「エルサレム讃歌」のように劇的に始まるものと、「ロシアン・クリスマス」のように静寂から始まるものに大別されます。しかし、この「さくら」のようにメゾ・フォルテで始まる曲は初めてです。A-E-G#-H-D#-F#-H(ホ長調の第6音以外の6つの音を同時に響かせている)というフラット系の管楽器ではめったに和音として使用することのない音をあえて使い、決して大げさでなく、それでいてとても充実感のある独特な響きを創り出しています。本当に楽器を知り尽くした天才の技です。しかしどうしても私にはそのメゾ・フォルテの響きの中に日本的な春の情景がたくさん込められているように感じます。雪解け、梅、桜、お花見、田植え、豊作を願う村祭り。卒業式、入学式、就職、退職と思い出のシーンが続きます。「さくら」の冒頭の響きのひとつひとつは、そうしたともすれば忘れがちな懐かしい日本の春を思い起こさせてくれます。もしかしたらこれはリードにとっても初めて到達する新しい境地だったのではないでしょうか。
 今後一層健康に留意されてすばらしい作品を一曲でも多く残してほしいと願っています。音の輪コンサートの11回に向けた新しい春の門出を期待しつつ。



アップデート 1999.1.18