今年はおめでたいことが続いている。テューバの神谷君とフルートの遠藤さん、同じくテューバの串田君とクラリネットの植松さんが共に入籍を済ませて新しい生活に入りました。こんな嬉しいことはありません。音の輪カップルはこれで何組になったのかな。これから何組のカップルができるのだろうか。
12年もやっているといろいろなことがある。いろいろな変化がある。最も分かりやすいのは、お互い年を取ったものだという古顔のメンバーを見て思うことではないだろうか。A. リード博士は79歳、団長の私も今年4度目の年男になった。音の輪コンサートを始めてから干支が一回りしたのだ。お互い年を取ったものだ、とはその間の労をねぎらう言葉でもあると思って使いたい。だてに年は取っていないのだ。
さて今日の練習は時節柄きっと来ない人が多くて練習にならないのかなと言う心配が最初からあった。その通りのスタートとなり、2時からの練習開始となった。早く来てくれた人には個人練習の時間ができたと喜んで欲しいのだが、それでも2時に練習が始められたのは嬉しいことだ。音が薄いから日頃埋もれている音が良く聞こえてくる。悪いところがすぐに発見できるから効率的な練習になる。が、同じところを何回やっても同じなのはいただけない。伊藤先生は自分でそれくらい分からないと、何度かチャンスを与えるが、コンマスもパートリーダーもまわりもそれを教えてやったらいいのかどうかを迷っているようだが、誰も言わない。言わないことが良いこともある。言う方がよい場合も多い。そういうようなときにみんなでどうしたらよいかそれを考えよう。大事なことは相手を思いやる心であるが、その表し方はむずかしい。
演奏を聞く側からの楽しみは、曲の中にちりばめられたソロをどう演奏するかを聴くことに尽きると行っても過言ではないだろう。それぞれのソロがよどみなく続いて演奏されるときは、それだけで聴衆を引き込むものである。ソロはそれほど重要なものである。今年の音の輪コンサートはラフーンのソリスト・伊藤寛隆氏を始として、金管と打楽器のための交響曲はじめホルスト、バーンズ、A. リード、とソロの重要な曲が並んでいる。それぞれのパートの名手がそれぞれの仕事を十分してくれそうな、そんな期待が膨らんでいます。
そういえば今年廃止したものがある。それはデモテープを配ることだ。もう良いのではないだろうかと思えるのだ。昔はそんなものはなかった。コンクールの課題曲は1曲だった。全国中が同じ曲を演奏した。勿論楽譜だけしかなかった。だからコンクールの当日にならないと他ではどんなふうにやっているのかまるで見当が付かなかった。会場の外でそれぞれのバンドが円陣を組んだりして最後の練習に余念がない。そのような演奏を聞くたびに自分たちのやってきたことがとんでもないことのように思えて狼狽したものだ。当然コンクールの本番もいろいろなスタイルの演奏が繰り広げられた。それだけ沢山の個性的な演奏が競われたのだから審査員もきっと大変だったろうと思う。
ちょうど20年前であるが、その年はA. リードの「音楽祭のプレリュード」が課題曲だった。私は高校三年生の学生指揮者でこの曲を30人編成のバンドで演奏した。私とA. リードとの初めての出会いであった。そのころ私はA. リードが誰なのかもまるで知らず、ただこの曲をどういう風に演奏したらいいかだけを考えていた。デモテープなど勿論ない。カセットテープもまだなかった。我々が唯一使った最新兵器がソニーのオープンデッキだった。それは最新型のステレオデッキで確か35,000円位したと思った。そのころの高校卒業生の初任給がようやく30,000円を超えた頃だったし、大卒でも35,000円くらいだったからいかに高かったか想像できよう。それを親友のホルン吹きが買った。彼の家業は肉屋で彼はそれを継いで立派に頑張っている。そのテープデッキが我々の演奏した音楽を我々に知らせてくれる唯一の先生だった。我々の顧問は英語の先生で我々が自由に音楽をやることを見守ってくれた素晴らしい先生だった。ただ見守っていただけではない、我々の希望することを学校やPTAに掛け合って特別予算を生み出してくれた。30万円という大金である。我々はそれでティンパニとテューバとホルンとコルネットをクラリネットなどを買ったように思う。そのころは30万円でそんなに買えたのだ。我々の高校は開校してまもなく、我々が四期生で伝統もなくまた変な先輩も教えに来なかったから我々だけで自由にやれた。本当に良い時代だった。が、誰も教えに来ないから自分たちで勉強しなければならない。合奏を録音してそれを聞いてどこがおかしいかを話し合った。それを何度も何度もやっていると不思議なもので、テンポとか、強弱の度合いとか、早くなる遅くなるの調整なども自然にその曲に最も相応しいところに落ち着いてくるのだ。そしてそういう演奏が、演奏する側にも聞く側にも定着して行き、自然に形成された「標準」を生み出して行く。それは曲の持つ力なのか、それとも人間の能力のなせる技なのか、その両方ではないだろうかと思う。その両者の力が最高に研ぎ澄まされ競い合ったのが他ならぬ「音楽祭のプレリュード」だったように思う。日本の吹奏楽コンクールの課題曲でこの曲の後にも先にも並ぶものはいまだにない。そして今日でもこの曲との思い思いの戦いが続いている。しかし今の私には何の思いもない。A. リードがとても近い存在となったからではない。私にとって私の青春の全てを掛けた余りに大切すぎるものだからであるからかもしれない。それは県大会で演奏した時の1枚のシングル版、本棚に眠っている私の青春だ。その大会の審査員は、今日3月18日ゆうぽうとでソニーバンドとの最後の引退公演を行った秋山紀夫先生だった。かなり以前にA. リードと秋山先生と三人で食事をしたときに、高校の時に「音楽祭のプレリュード」を演奏して東京から審査員できた秋山先生に第2位を付けていただきましたよ、話したことがあった。いつかそれを聞かせて欲しいとA. リードからいわれているのがまだ実行していない。
人は過保護にしてはろくな成長を遂げないものである。人を頼りものを頼り自らを失って行く。頼れるのは自分だけであることを21世紀を生きる若い人は自覚しなければならない。親も兄弟も町も国も誰も自分を助けてはくれない、全ては自己責任によって決断して行かなければならない世の中になる。銀行預金さえ2002年からは完全にペイオフ制度が導入されて1000万円以上の預金は保護されない。年金制度も怪しい。勿論終身雇用など今の世の中では形骸化しつつある。保険もどうだろう。健康保険も財政破綻しそうだし、新しく4月から始まる介護保険もどうなるのだろうか。保険金を払ったとして一体誰が老後を見てくれると言うのだろうか。世の中ますます複雑になって人々は混迷する。今時の若い人たちの偏食から成人病の予備軍を助長しているとしか思えないのに、医学はそれを改善することをせず新しい臓器移植やバイオへと進んでいこうとしている。人の臓器をもらってまで生きながらえる価値のある人がいるのだろうか。クローンを残そうとまでする愚かしき人間、その節操のなさは人間が人間であることの尊厳を失っているからに他ならない。人間は人間であるからこそそのはかなさを知り自らを愛おしみ生きとし生ける全てのものを愛せるのである。だから自分の弱さを愛さなければならい。自分の弱さを愛せるならそれと同じような弱さを愛することができる優しさを見出すだろう。優しさを見出した心には自ずから生きる強さが芽生えるだろう。自分の命の中に芽生える生きる強さ、それを見つけることが、自分の力で生きる、といことではないだろうか。
3月19日