第10回の主な演奏曲目

春の猟犬
 この曲は、カナダのオンタリオ州ウィンザーのジョン・L.フォスター・セコンダリースクールバンドの委嘱で作曲され、その指揮者ジェラルド・A.N.ブラウンに棒げられ、1980年5月8日にリード自身の指揮、同セコンダリースクールバンドの演奏で初演されました。
 曲のタイトルは、“アルガーノン・チャールズ・スウィンバーン”というイギリスの詩人が1865年28歳のときに書いた詩の一節に基づいています。この曲はリード自身がいっているように、この詩のもつ2つの要素、“若い快活さ”と“やさしい愛の甘さ”を音楽として表現しようとしたものです。形式としては伝統的なA-B-Aの3部形式で、
6/8拍子を主体とした軽快なリズムによるAと、4/4拍子の美しいメロディのBの部分が対比的に書かれています。
 (出典:「A.リード作品集」佼成出版社・解説:秋山紀夫)

アルヴァマー序曲
 多くの日本の演奏家には、この作品を通して私の音楽が紹介されています。日本ではしばしば録音され、バンドの定番となっているようです。この曲は、第2セクションからのスローなメロディーが、早い木管の対旋律を伴い繰り返される、拡大されたコーダを持つ三部形式の標準的な序曲です。
 アルヴァマーは、カンザス州ローレンスにあるゴルフコースの名前で、父親(Alva)と母親(Margret)を合成して作られているそうですが、私はそこで週末にゴルフを楽しんでいます。(J. バーンズ/青山均訳)

秋のひとりごと
 1985年の秋、J. バーンズは、彼の大学のバンドでソロをするためにオーボエのスーザン・ヒックス・ブラッシャー教授を招いた。何も決まらないままに月日がたち、彼はオーボエとバンドのために書かれた曲が少なく、それでこの組み合わせの曲を自分で書こう決めた。こうしてこの曲、Autumn Soliloquyができ、1986年の春に初演された。
 曲は、ソロ・ホルンとソロ・オーボエの寒々とした装いで、薄く始まる。随所で扱われている最初のメロディが、対照的なテーマのバンドが入ってくる前の部分での速められた質感の変化によって、音楽をより光ったものにしている。長いモデラートの後でオーボエの最初のテーマが再び現れ、どこか哀愁をおびたコーダが鳴り響いて曲を閉じる。(著者不明/青山均訳)

シンフォニック・オーバーチュア(交響的序曲)
 この曲は、1911年アメリカ、ワシントン州にある米国空軍の50周年記念を祝う世界的な式典で演奏されて以来、記念式典等の際に演奏されている曲である。
 1988年、Colonel James M. Bankhead空軍大尉(空軍バンド指揮者)より、アリゾナ州立大学で行われるアメリカンバンドマスターズ協会の大会に向けての作曲の依頼をうけた。大尉は、吹奏楽の大会でロマンティックで長い特色ある序曲を希望してきたが、それは大会での演奏曲としてはとても難しい試みであった。
 1990年、ずっと進めていた曲が気に入らずごみ箱へ投げ捨て、そしてもう一度初めから作曲し始めた。その結果がこのSymphonic Overtureである。この曲は、約2週間で書き終えた。私は心よりあなた方が気に入ることを望んでやまない。又、この曲は最初に作曲し、ごみ箱へ捨てられた曲よりもずっとすばらしい曲である。(J. バーンズ)

エル・カミーノ・レアル
 1768年から1832年にかけて、聖フランシス派の修道士たちは、カリフォルニアの南にあるサンディエゴから北はサンフランシスコに至る600マイルの道のりに、21カ所に及ぶ伝導所を設けた。この伝導所を結ぶルートが、エル・カミーノ・レアル(スペイン国王の道)と呼ばれている。
 ラテンファンタジーとサブタイトルされたこの曲は、急−緩−急の形式で書かれ、スペイン風のリズムや音律で飾られている。短い序奏に続いて熱狂的な舞曲が始まり、しばらく続いて終わる。静寂の中から哀愁に満ちたオーボエの、失った恋人を偲ぶ歌が聞こえてくる。悲しみはますます大きな歌になって覆い尽くすが、しだいに弱くなり、ホルンのメロディーを最後に消えてゆく。そして静寂の中から新しい生気にあふれ躍動する鼓動が打ち始まる。リズムは波となり、これまでの悲しみの歌を大きな喜びのテーマのなかに包み込みながらクライマックスを作って曲は終わる。
 1958年に横浜とサンディエゴは姉妹都市となった。1983年25周年を記念してサンディエゴから、「MISSION BELLS OF EL CAMINO REAL」(エル・カミーノ・レアルのミッションベル)のレプリカ二つが贈られ、その一つが山下公園の氷川丸の前にある噴水の横に立てられている。              (青山 均)

音楽祭のプレリュード
 この曲は、オクラホマ州エニッドで毎年5月に開催されるTri-State Music Festival(トリ−ステート・ミュージック・フェスティバル)の25周年を記念して委嘱され、1957年に作曲された。初演はこの年の5月のフェスティバルの時にフィリップス大学コンサートバンドをリード自身が指揮して行なわれた。出版は1962年で、1970年(昭和45年)全日本吹奏楽コンクールの課題曲に選ばれてから日本でも一躍有名になり、A. リードの名を不動のものとした。曲は、音楽祭の開幕を告げる金管楽器のファンファーレが高らかに鳴り響いて始まり、変化に富む数々の旋律が受け継がれながらフィナーレのファンファーレに突入して終わる。吹奏楽の持つ全てのエッセンスを4分40秒に凝縮したようなこの曲の醍醐味は、演奏する者と聴く者とを引きつけて離さない。

枯葉
J. Mercer, J. Prevert and J. Kosma, arr. Alfred Reed
 ハンガリー生まれのフランスの作曲家ジョゼフ・コスマ(1905〜69)は、1945年にコンビを組んでいた詩人で脚本家のジャク・プレヴェールの詩集『パロール』に曲をつけて歌曲集を作ったが、『枯葉(Les feuilles mortes)』はその中の1曲で、1946年の映画『夜の門』(監督マルセル・カルネ)でイヴ・モンタンが唄い、大ヒットになった。
 リードのこのアレンジは1955年に出版されたもので、シャンソンの名曲のイメージを見事に活かしながら、すばらしい゛シンフォニック・ポップス″に書き換えられている。また、彼はこれと全く同じ構成のオーケストラ用のアレンジも書いており、そちらの方は、アーサー・フィードラー指揮ボストン・ポップスによりレコード化されたということだ。
 (出典:「栄光への脱出」佼成出版社・解説:樋口幸弘)

エルサレム讃歌
 ゴミタス・ヴァルタベッド(1869-1935)が蒐集したアルメニアのキリストの復活を称える7世紀の聖歌を主題に作曲され、序奏、主題による5つの変奏曲、終曲の7つの部分からできている。序奏はキリストの復活を暗示させるような神秘性と荘厳さをもって主題を導き、終曲は復活を称え喜び、あたかも天上のトランペットがキリストの再来を世界中に伝えるかのように輝かしく主題を再現させる。しかし、この序奏と終曲に挾まれた5つの変奏曲はこのようは標題的意味合いを持つことなく、古い聖歌を純粋に音楽的にどのように変奏できるかが追及されている。
 この曲は、パーデュー大学バンドの100回記念演奏会のために委嘱され、ハリー・ビージャン博士の指揮する同大学のシンフォニックバンドによって、1987年の復活祭の日曜日に初演された。

カーテン・アップ
 この曲は、イリノイ州ウィートン市から、そこの市民バンドの60周年の祝典のために委嘱されて1990年に作曲され、同年7月19日にその記念コンサートで、ブリュース・モス博士の指揮によって初演された。
 20世紀のアメリカの音楽は、ジャズ、規模の大きな吹奏楽、それと劇場音楽の3つの主要な分野に集約されるものによって大きな発展を遂げたとA. リードは述べているが、この『カーテン・アップ』は、こうした3つの面を融合するように書かれた作品である。
『カーテン・アップ』とは文字通りミュージカルショーの幕開けの意味で、コンサートの開幕にふさわしい曲である。開幕を告げるファンファーレ、陽気なダンスナンバー、恋人同志のデュエットを彷彿させるバラード、軽やかなタップダンスと情熱的なラテンの鮮やかなコントラスト、そしてジャズロックがフィナーレをエキサイティングに盛り上げる。

カリブ舞曲
 カリブ舞曲は、その優しく揺れるリズミカルな伴奏にキューバやカリブの影響が現れていて、その上に流れるような長いメロディーラインが展開されています。これは最初はソロとして聴かれ、それから静かな伴奏の形でハーモニーを合わせてゆく構造をとります。メロディーラインに対してリズミカルなバックグランドの形をとる、弦楽器を弾く効果を出すブラスのそろったミュート音は、この地方のスタイルの代表的なものです。
 音楽でいうラテン・アメリカは、中南米の国はもとより多くの島々からの歌やダンスやリズムなど多彩で多様な意味を持つようになりました。最初に移民したスペイン人の文化的背景を含んだ、世界中の聴衆を喜ばせるための膨大なラテンのレパートリーが、今ここにあります。(A.リード・プログラムノート/青山均訳)

第6組曲
 第6組曲は、1997年に、東京の音の輪ウィンドシンフォニカの委嘱によって書かれ、献呈されました。それは、全体を通しても部分的にも、音楽的なまたは組織的な関連性のない独立した4つの楽章から成り立っています。
 1楽章は、「March Miniature」マーチ・ミニチュア。これは「陽気なマーチ」のメロディーのバリエーションの設定です。
 2楽章は、「Summer Stroll」夏の散歩。これは美しい夏の日の森や牧草地を抜けてゆく、静かで穏やかな気持ちに満ちた散歩。
 3楽章は、「Halloween Hobgoblin」ハロウィーンのお化け。これは幽霊のスケルツォの一種で、ハロウィーンの幽霊の怪しげな踊りの中にあっては、ただこの幽霊だけは完璧に現代版にアップデートしていて、モダンジャズのリズムに合わせて飛び跳ねています。
 終楽章は、「Awa Odori」阿波踊り。これは徳島の熱狂した踊りで、単純な主旋律が何度も何度も繰り返されるのですが、その上部や下部に、時には突き抜けるように、異なったメロディーが現れます。(A.リード/青山均訳)

マリンバ・コンチェルティーノ
 この曲は、1991年3月にNHK交響楽団首席ティンパニー奏者・百瀬和紀氏の愛弟子である打楽器奏者・河野玲子氏により委嘱された。多忙にもかかわらず、その年の12月に書き上げられ、1992年3月に普門館でリード自身の指揮、河野玲子氏の独奏で東京佼成ウィンドオーケストラにより録音、さらに5月3日昭和女子大学人見記念講堂で開催された「第4回A.リード音の輪コンサート」で、委嘱者自身の独奏と師の百瀬和紀氏の指揮により初演された。
 第1楽章 ノクターン  
 第2楽章 スケルツェット  
 第3楽章 トッカータ
 (A.リード/青山均訳)

アルメニアンダンス全曲
 アルメニアは、ロシアの南方にある共和国であり、ロシア民族ではなくアルメニア民族で大半を占められ、、民族音楽の宝庫とされている。リード博士は、そうした民族音楽を素材として、この曲を書いたわけである。その際の資料となったには、ゴミダス・ヴァルタベートが蒐集したアルメニアの音楽集である。ヴァルタベートは、トルコのアナトリア地方の小村の出身で、主としてドイツで音楽を勉強したのちに、アルメニアの民族音楽にとくに惹かれるようになり、またアルメニアの音楽の振興にも尽力し、アルメニアの人たちから敬愛されていた。
 リード博士のこの曲は、二つの集で合計して四つの楽章からなる組曲の形をとっている。そのうちの第1集は、1972年夏に作曲され、イリノイ大学のハリー・ビジャン博士に献呈されて、この人の指揮するこの大学のシンフォニック・バンドによって1973年1月10日に初演された。この第1集は、ヴァルタベートがはじめて楽譜の形で記した五つのアルメニア調の音楽を用いて構成され、単一楽章の形になっている。「あんずの木」と題された強烈な全合奏からはじまる。三つの民謡がこの部分の素材となっている。この強烈さが静まると、ハープの伴奏にのって、木管が新しい旋律を奏する。これは、「山うずらの歌」と題され、アルメニア調をおびているものの、実はヴァルタベートの自作である。
 やがて各種の打楽器を加えて活気をとりもどしてくると、「ホイ、私のナザン」と記された部分がきて、テナー・サックスが新主題を示しだす。これをしばらく多角的に扱ってから、テンポを落として、「アラジャーズ」と記された部分に移る。これは、アルメニアにそびえる山の名前で、ここのメロディーは、アルメニアの人たちから広く親しまれているものであって、この山の姿を示すかのように悠然としている。ふたたび打楽器類を加えてテンポをあげると、最後の「行け、行け」の部分に入る。これは、強烈な舞曲調で、クライマックスを築いていって曲をしめくくる。
 「アルメニアン・ダンス」の第2集は三つの楽章からなり、1973年冬に作曲され、やはりイリノイ大学のハリー・ビジャン博士の指揮するこの大学のシンフォニック・バンドによって1976年4月4日に初演された。そのときは、第1集も演奏された。この第2集を構成する3曲は、それぞれ1曲のアルメニアの音楽を用いて書かれている。
第1曲は、「来たれ、そよ風よ」である。細かい音の動きの静かな序奏ののちに、ゆったりとこの序奏のメロディーが奏しだされる。これは、若い男が山に向かって、自分の悩みを吹きとばすようそよ風を送ってくれと嘆願する内容の抒情的な民謡である。
 第2曲目は、「ハオーマル」と題されている。ハオーマルというのは、アルメニアの女性の名前である。これは、アルメニアのある村での結婚を歌う若者たちの陽気な踊りと歌によるもので、逞しく生命力にあふれたリズムをもっている。
 第3曲は、「遠くの地方の耕作の歌」である。これは、キリスト教以前の農業の労働歌をもとにしていて、仕事の苦しみよりもむしろ喜びを歌いあげ、「アルメニアン・ダンス」をしめくくるのにふさわしい、熱狂的な効果をもっている。
(出典:「第5交響曲さくら」洗足学園大学・解説:門馬直美)


アップデート 1999.1.18